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【海外の反応】「 日本人が現れた瞬間、戦地が停戦した」世界最強の傭兵を戦意喪失させ、日本軍の強さと優しさに敵兵までもが涙!とんでもない真実とは? [海外の反応 世界編]

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グルカ兵というのは、ネパール傭兵のことで、ヒマラヤ登山のシェルパにもその経験者が居るそうです。
兎に角、勇猛果敢であるとの定評が高いとか。

今回は、元グルカ兵が、先の大戦でイギリス軍の傭兵として、旧日本軍と戦った事を、述懐して証言していたので、紹介していきたいと思います。

戦争は悲惨であるが、戦いは歴史は万古不滅のドラマでもあります。
歴史はその中で織り成され、生まれ、あるいは消滅していったことも事実です。

グルカ兵は、イラク、アフガニスタンと繰り出され、今では、国連平和維持軍や各種警備兵として、傭兵の中核を占めていると言われています。
あのククリナイフで有名ですね。

世界最強の傭兵.jpg


さて、ここからが引用記事となります。

元グルカ兵(ネパール人)の証言

我々は世界最強の傭兵だ。
第二次大戦で英軍の傭兵の時、マレー軍を3時間で撃破した。
インド軍は1日で降参させた。

だが、日本の正規軍との戦いは過酷で一週間不眠不休で戦わされ、我々も半数以上が戦死した。
これだけの死闘は初めてで、勇敢な敵軍を尊敬したのはこの時だけだった。

玉砕した日本軍の所に行ってさらに驚いた。
日本軍は貧弱な武器なうえ食料も、わずかな米しかなく、日本軍の死体はみんなやせ細っていた。

戦友が死んだ時には泣かなかったが、敵である死んだ日本人を見て皆泣いた。

停戦の訳

インドで傭兵としてパキスタン軍と対峙してた時、遠くから歌が聞こえてきた。

知らない言葉の歌だったが味方じゃないことは確かなので銃をそちらに向けたとき、上官に殴り飛ばされた。

何がなんだかわからなかったが不思議なことに、パキスタン側でも銃声がやんでいた。歌声の主は数人の年寄りで、われわれに気づかないのか旗を持って一列で歩いてきていた。

われわれ側もパキスタン側もその数人のお年寄りが通り過ぎて見えたくなるまで一発の銃弾も発射しなかった。
結局その日から2日間は戦闘は再開されなかった。

停戦命令も出ていないのにどうして戦闘がやんだのかわからずに、上官に聞きに言った。
その年寄りたちが歌っていたのは日本の軍歌で持っていた旗は日の丸だということを聞いた。

その話を聞いてその夜は泣いた。

ものすごく泣いた。

その年寄りたちは第二次世界大戦で死んだ戦友を弔いに来ていたのだと知った。

こんな危険地帯なのに、第二次世界大戦から何年もたっているのに、戦友を弔うためにこんなところまで来てくれる人たちがいることに涙が出た。

あとから知ったが、パキスタン側もそれが日本人でかつてインド(パキスタン)独立のためにイギリス軍と戦った人たちだと知って敬意を表して戦闘を中断したそうだ。

この半年後、傭兵を辞めて日本に留学した。
たくさん勉強して日本語の読み書きも覚えた。

何年もたって日本のお酒が飲めるようになって、サクラを見ながら飲んでいたとき、サクラの花びらがコップに入った。

それを見て急に涙が出てきた。
あの年寄りたちのことを思いだした。
日本人が本当にうらやましい。

以上が引用でした。

その強さは、一騎当千とまではいきませんが、ほぼランボーと同じ戦闘力を持っていると言われています。

根っからの平和主義者ですが、戦いを忘れた民族に将来はありません。
次に紹介する記事の末尾のサムライとは、彼のことです。

まさに「ランボー」アフガンのグルカ兵がたった1人でタリバン兵との大銃撃戦を制す。

イギリス軍の中でも勇猛無双で知られるグルカ兵が、十数名のタリバン兵を相手にした大銃撃戦を制し叙勲の栄に浴し ました。
ライフル弾やロケットが飛び交う中、「ぶっ殺す!」と叫びながら機関銃の三脚を投げつけて暴れまわった、などにわかには信じられない鬼神っぷり だったそうです。

2010年9月のとある夕方、アフガンのとある検問所で、ディプラサッド・パン臨時軍曹が歩哨の任務についていたところどこからともなく金属音が聞こえてきた。

ロバか牛かと思い目をこらすと、正面ゲートで2人のタリバン兵が爆発物をしかけているのが見えた。
タリバン兵はこの検問所を奪取するため念入りな計 画をたてて来ていたようだ。

その瞬間、さっきまで自分がいた詰め所が吹っ飛ばされたのを見てパン軍曹は自分が周囲を完全に囲まれていることを悟った。

すぐさま検問所の屋上に上がり、機関銃の弾を浴びせるパン軍曹。
その間もAK47小銃とRPGロケットによる攻撃はやむことがない。

ふとした気配に 振り向くと巨漢のタリバン兵が屋上によじ登り、彼に迫ってくるのが見えた。
すかさず連射を浴びせ屋根からたたき落とすも、さらに1人が壁を上ってくる。

今 度は手元のSA80小銃で撃ったものの当たらない。
そのうちに弾が切れたのかライフルは沈黙してしまった。

辺りを見渡して武器を探したが、口を絞っていない土嚢しか見つからない。

砂が出てしまえばただの袋で武器にならない。そこでパン軍曹は、とっさに機 関銃から三脚を取り外し、祖国のネパール語で「マチュ・タライ!(ぶっ殺してやる!)」と叫びながらタリバン兵をたたき落とした。

結局この戦闘で機関銃の弾250発、小銃弾180発を射撃、各種手榴弾12個とランチャーからの榴弾5発、クレイモア地雷1個を起爆させ、増援が来るまで検問所を守りきったのである。

戦闘は15分ほどであったが、パン軍曹は疲労の極致にあった。
増援部隊の指揮官が到着を知らせるために彼の背中を叩いたところ、パン軍曹は「また敵が来た」と思ったそうだ。
間違って撃ってしまう危険はなかったのか、という問いには「もう弾がなかったから」と答えている。

「タリバン兵がやって来たと知ったときはすごく怖かった。
でも撃ち始めてからは恐怖は感じなかった。
殺される前に殺そうと思った」とパン軍曹。

この功績により、戦場での特に優れた武勇に対して与えられるConspicuous Gallantry Crossを受章した。

ネパールの山岳民族からスカウトされるグルカ兵は、昔から剽悍きわまりない戦士として恐れられてきた。
「ククリナイフ」と呼ばれる伝統的なナイフを使った白兵戦能力は特にすさまじいものがある。

これも2010年9月のこと。
ビシュヌ・シュレスタ元グルカ旅団伍長は、故郷・ネパールに向かう列車で40人の武装強盗に襲われてしまった。

命あっての物種、と他の乗客から略奪を行なう彼らをじっと見ながらシュレスタ伍長は沈黙を保つ。
自分の財布を奪われた時さえ、感情を表に出さないでいたシュレス タ伍長。
しかし、盗賊達が18歳の少女を捕まえ強姦しようとしたその瞬間、ついに彼の怒りは爆発した。

盗賊のたった1つのミスを犯した。
グルカ兵からククリナイフを取り上げなかったことである。
シュレスタ元伍長は、巨大なククリナイフを一気に抜き放った。

少女を手にかけようとしていた男を後ろから羽交い締めにすると、そのまま彼を盾にしながら横に立っていた盗賊を切り倒す。
そして、ひるむその他の 盗賊の前で彼は盾にしていた男の喉を切り裂き、さらなる獲物を求めて哀れな盗賊に飛びかかっていったのだ。
結局、3人の死者と8人の重傷者を出した盗賊は 撤退していった

黙って見ていることしかできなかった少女の両親は彼に謝礼を申し出たものの「敵と戦うは兵士のつとめ。
賊を倒すは自分の人間としてのつとめ」と、受け取ろうとしなかったそうである。

以上が引用でした。

こういう話を聞くと、今の日本は本当に平和だと感じますね。

【某国の政治】
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